乳がん発覚まで

2015年6月に受けたマンモグラフィーで、ひっかかり、ウルトラサウンドを受けるように言われる。以前一度、引っかかったけれど、何ともなかったので、何も気にせずにウルトラサウンドを受ける。ウルトラサウンドの最中は、自分でもモニターが見れるので、見ていると、どうやら技師さんが何か見つけたらしく、たくさん写真を撮っている。そして、顔がわらっていない。それでも私は、ただのしこりだろうとしか思っていなかった。そして検査が終わったあと、バイオプシー(生検)を受けるように言われる。このとき初めて、ちょっとまずいかも。。と思う。

バイオプシー(生検)と言われても、どうやるのか、見当もつかない。まあ、どうせ大したことないだろうと思って、アポに行く。私のバイオプシーは、Core needle biopsy. ウルトラサウンドで、位置を確認しながら、針を入れ、腫瘍の一部をとるのだが、やってくれた先生がレジデントで、一部をとるとき、思いっきりいたかった。そして、翌日、右胸が殆ど紫になっていた。誰も経験を積んで一人前になっていくんだけれど、私でお試ししないで!とそのとき初めて思ったほど、痛かった。

検査の結果は1週間ほどして、かかりつけの医者から夜、連絡が来た。時間外に電話がくるのはまれなことで、嫌な予感がしたが、仕事も忙しく、”電話で済ませてください”って言ったのだが、どうも歯切れが悪く、クリニックに来いという。翌日10時のアポを取り、オフィスにいくと、右乳房に浸潤性乳管がん(ステージ2)だと言うこと。

これは、ヤバいかもと思いながらアポにいったものの、どこかで、そんなはずない!と思っていたのを思いっきり潔く、ストレートに癌宣告され、今でもなぜかわからないけれど、涙だけがどんどん出て来た。悲しいとか、悔しいとか、何の感情もなかった。しいていえば、”えーっ”って言う感じ。ただ、涙が出て、とまらなかった。ドクターがテイッシュ一箱もって来てくれて、乳がんウエブサイトとか教えてくれてたけれど、全然おぼえていない。

父が2014年12月に肺がんで他界、旦那は、2015年2月に人生をリセットしたいと言い、家を出て行き、仕事もここ2、3年激務続きで土日もなく仕事をこなし、これ以上悪いことはないだろうとタカをくくっていたら、とどめのがん宣告。これはもう、究極のずんどこ人生だ!娘の人生もかかっているから、どうやってもなおすしかない!と思った。


アメリカで、乳がん治療&子育て奮闘記

2015年、非浸潤制乳がんと診断され、右乳房全摘手術と抗がん剤治療をおえ、これから10年間のモニター生活が始まります。アメリカ乳がん治療やその他日常生活について、綴っていきたいと思います。

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